水がめ座ダイアリー

いつかの旅のはなし  2016.04.13


 

いつかの旅のはなしをしたいと思います。

今でも時々、はじめてベルリンを訪れた、寒かった旅のことを思い出すことがあります。まだまだ仕事を始めたばかりで、目に映る全てが新しくて大胆な小心者だった頃の旅のことです。お金がなくて、というか今思えば「どれくらい使っていいか不安で」バスに乗るのも躊躇するくらい、毎日毎日よく歩いていました。当時の日記帳をめくると、1.8ユーロのバス代を「思い切って」使ったことなんかが書いてあって、25歳の私の無鉄砲さと小心ぶりと体力に驚きます。

この頃は旅先でどんなお店に入ったらどんなものが食べられるのか、今みたいにインターネットでなんでも調べられる時代でもなくて、いつもとんちんかんなことをしていました。地元の大酒飲みのおじさんばかりが集まるスポーツバーにうっかり迷い込んで、カフェラテを頼んだつもりが謎のミルクコーヒーがでてきたり(朝からドリップしたままほったらかされたブラックコーヒーにコーヒーフレッシュをちょっと入れたみたいな味でした)、ユースホステルに泊まる作法がいまいちわかっていなくて、夜遅く着いた12人部屋にノックして「ナイストゥーミートゥー、アイアムノリコ、フロムジャパン」と強迫観念?からか言ってみたり(逆に怪しかったと思う)、そんなことばかりが続きました。

いろいろ浮かぶ思い出の中で、すごく焼きついて離れないのは、その初めてのベルリンの旅で泊まった不思議な宿のこと。冷たい大きなタイルの床にベッドマットが敷いてあって、その部屋で私はある日、ルーマニアかどこか、東欧の遠くからきたおばさんと一緒になったことがありました。まだ英語が話せなくて、聞き取りも怪しくて、でもなぜかこの同室になったおばさんとちょっとおしゃべりしました。

何を伝えたいのかわからない、何を話しても伝わるのかわからない。そんな会話を身振り手振りで一生懸命して、おばさんがルーマニアからきたこと、出稼ぎで故郷には家族が待っていることがぼんやりわかって、確か娘さんがいた話もしたと思います。私も日本からきたこと、ベルリンは初めてなことを話したように思います。二人とも根気強く話して、たくさん笑いました。

強烈に覚えているのは、この時、ふいにおばさんが泣き始めたからで、薄暗い部屋のなかでおばさんは少し黙って、そうしたらぽろぽろと目から涙が溢れてきて、しばらくの間泣いていました。私はただびっくり、おろおろして、でもきっと家族を思い出して寂しくて泣いてるのが伝わってきて、ただ手を取ってさすりながら、「すぐに帰れるからね、家族が待っているんだもんね」と日本語でずっと話しかけていました。おばさんは、最後にようやくちょっと笑って、私の手を握り返しながら何か言って、チョコレートをくれました。

次の日起きたら、もうおばさんのベッドは綺麗にシーツもベッドカバーも取り去られ、誰もいませんでした。尋ね方がわからなかったので宿のオーナーに行方も聞かなかったし、たぶん出発した後だったのだと思います。今となっては記憶も少しずつおぼろげになってきて、私たちが交わした会話や空気のどれだけが確かだったのかもわからないのに、この宿のこと、この旅の夜のことを今でも時々思い出すのです。

この間、ふと思い立って記憶を辿りながらGoogleのストリートビューで宿を探しました。Trum通り駅を出て、こっちの方角に少し行って……というのを繰り返して、ようやく見つけた宿の姿は変わりなく、その頃の気持ちをちょっと思い出して書いてみました。

手前にある緑色のベンチに座って、ぼんやり考えごとをしたこと、今でも覚えています。おばさんがくれたチョコレートは、東欧らしいしゃりしゃりとしたお砂糖と油脂の甘い味がして、苦手だったけれど、特別美味しかったです。

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